先日購入した「円覚寺 横田南嶺管長」の法話をご紹介します
「座禅の修行は(良い意味で)バカになる修行であります。
時には、とぼけるところが出てくると奥が深い。
「強に逢うては即ち弱」
強く出てきた相手に対してまともに相手をすれば、
お互い傷つけかねない。そこで、とぼけたふりをして
サラリとその場を切り抜けることも時には大切であります。
それが本当の掛け合い。勝負をしないという手もあります。
どっちが勝った、どっちが負けたというものを越えたところ。
にんげん、あんまり賢すぎても長持ちしない。
理論理屈をたたかわすのではなく、「暖簾に腕押し」じゃないが
ぼやーっととぼけているようなところに
味わいがあるのではないでしょうか」
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強に逢うては即ち弱(きょうにおうてはすなわちじゃく)
「相手を何とかしたい、正しいのは私、私は懸命にやっている」
かつての私の言葉です
その時エネルギーの師は
「戦いのエネルギーは一番疲れるし無駄だ」と諭されましたが
何年たっても未だ未熟です
物事も人間関係も力みすぎますと、その間のエネルギーは
滞りやすくなります
「泰然自若として受け止めるところからまた始めよう」
禅もエネルギーも真理なりと今日もひとつ学びました